第17回講演会 『普天間の挫折と東アジア共同体構想』

第17回講演会 2017年12月15日

普天間の挫折と東アジア共同体構想 鳩山友紀夫さん

普天間の挫折と東アジア共同体構想 鳩山友紀夫さん

はじめに、

 一昨日(2017年12月13日)、普天間第二小学校の校庭に大型ヘリの窓枠が落下するというとんでもない事故が起きました。2か月ほど前(10月11日)にも沖縄県東村で大型ヘリが墜落するという事故がありましたが、どう考えても単なる「不時着」ではなく墜落して炎上したと考えざるを得ません。それなのに政府はいつも「不時着」という言い方をします。10月の事故の後、小野寺防衛大臣は米側に対して安全が確認されるまでは、そして原因が究明されるまでは飛行を止めてほしいと要望したということでしたが、それにも拘わらず、一週間後にあっさりと飛行が再開されてしまいました。そしてまた、今度の事故が起きました。米軍はこのような事故を繰り返しているわけであります。

 丁度、今回の事故が起きた一年前の同じ日に、名護市安部(あぶ)の集落からわずか800メートルの浅瀬にオスプレイが墜落しました。その時も政府は「不時着」と言っていました。

 沖縄では頻繁に米軍のヘリや飛行機の事故が起きています。たまたま今回、児童を含め大惨事にならなかったことは不幸中の幸いでありましたが、それはたまたまのことであります。

 これに対し政府高官が、“だから早く普天間から辺野古に移せばいいんだ”と言ったと報道されていますが、これはとんでもない話で、移設すれば、その移設先の地域に同じような事故が起こるわけです。特にオスプレイは“未亡人製造機”といわれています。そういうものがどんどん飛び交う恐ろしい状況が沖縄の皆さんの上で起こっていることを微塵にも考えていない、配慮の欠片もない発言だと思います。

 だから辺野古に移設するのではなくて、基地そのものを撤退すべきもので、そして海兵隊、米軍は全ていなくなるような状況をできるだけ早く作らなければならないわけであります。

 それにもかかわらず、沖縄の皆さんにとって政府は耳を貸さない遠い存在であり、差別を受けている現状があり、その責任を当然私も受け持たなければならないのであります。

 私も普天間問題で挫折し、沖縄県民に大きな失望を与えた経験があり、だからこそ、その後、沖縄の皆さんに徹底的に寄り添いながら人生を歩んでいきたいと思っているのであります。

 私は、この普天間問題で挫折した後、全国を飛び回っているのですが、有難いことに、今、私に対して一番温かく接して下さるのが沖縄の方たちであります。

 鳩山は普天間で失敗した。挫折した。しかし総理として初めて基地の問題を正面から取り上げて普天間基地の移設先について「最低でも県外、できれば国外に」と言ってくれた。それが出来なかったにもかかわらず、そのように言ってくれた、ということで私に沖縄の人は温かく接してくださるのだと思います。

 その背景には、それだけ日々の暮らしの中でこれまで政府から差別的な仕打ちを受けてきたということがあるからだと思います。

政権交代・・・「最低でも県外」

 私は2009年の政権交代選挙の時、何度も沖縄に足を運びました。沖縄の皆さんから普天間の問題を頑張ってもらいたい、絶対に沖縄県内に移設しないでほしい、最低でも県外に、という気持ちを強く受けました。“沖縄の皆さんの総意がそこにあるなら、私は最低でも県外、できれば国外に移設したいと思っています”ということを述べました。そして、沖縄の皆さん方の熱烈な歓迎と期待の中で政権交代を実現できたのでございます。

 ところが、その後、なかなか代替地を探すことができませんでした。平野官房長官には40幾つもの代替地の候補を挙げてもらい、最後に残ったのが徳之島でありました。今から考えれば、徳之島でOKとならなくて良かったなと思っています。移設先が徳之島に決まればそこでも沖縄の皆さんと同じような苦労を与えてしまうことになるからです。だからといって辺野古への移設に戻してしまうということは、自分が言ったことと、しなければならないこととの間に齟齬が生じてしまって、総理を辞めるということになってしまったのです。

 総理時代に、私は米国から辺野古に移設しようという話を聞いたことは一度もありません。

 オバマ大統領は辺野古がどこにあるかもわからなかったと思いますし、辺野古しかないと押し通してきたのは日本政府、つまり外務省、防衛省の側であったと確信しています。

 オバマ大統領は就任直後に、政権が代わったのだから当然政策も変わっていいという柔軟性を私との対談の折に示していました。その対談で、移設問題の話もありましたが、辺野古の話には全く触れませんでした。

外務省極秘文書

 日本の役人には、一度決めたものを新政権になってひっくり返されてはたまったものじゃないという意識が強くあったと思います。辺野古への移設をどうやったら継続させることができるか、ということを外務省、防衛省の役人たちは考えていたと思います。彼らは賢明ですから、面と向かって辺野古に戻すべきだという言い方はしません。しかし、じわりじわりと脇から攻めていって落としどころは辺野古しかないというところに追い込んでいくのです。

 2010年の4月半ば過ぎのころ、役人たちが官邸の私の執務室にやってきました。そして今、米国大使館でやり取りをしてきたという「機密文書」を私に見せ、報告をしました。

 その「機密文書」には次のようなことが書かれていたのです。

 『米国海兵隊のマニュアルの中にも書いてあることだが、沖縄の海兵隊が訓練をする場所―中部、北部にある演習所ですが―、そこに海兵隊はいろんなところからやってきて訓練をし、また戻っていく。今までは普天間からやってきていた。もし普天間の海兵隊をどこかへ移すとしたら、その移した先から訓練所にやって来てまた戻っていく。だからあまり距離が離れていると訓練に差し障る。辺野古でなくてもいいが“あまり遠すぎてはいけない”』

 この“遠すぎてはいけないという距離”が具体的に書いてあって、『その距離は65海里、すなわち120㎞以内である』と書いてあったのです。

 徳之島はその120㎞の円の外側にあるので無理だということになります。その機密文書には、当然アメリカのマニュアルにも明記されてあるということであり、65海里と書かれていましたから、私の中で“これはもう無理だな”ということになり、“沖縄の中でという話になれば辺野古しかないな”ということにならざるを得ませんでした。

 ところが、私が議員を引退した後、この「外務省極秘」との判が押してある文書について、外務省に問い合わせましたが、何度聞いてもこれは外務省が作成したものとは確認できないというのです。私を説得する最大の材料であった“辺野古に戻らざるをえない”という「機密文書」を示しておきながら、数年たって私が総理を辞めてから、あの文書は「あなた方が作成したのでしょう」と聞くと、いやいや、いろいろ調べたのですがこのような文書は確認できません、と言い張るのです。自分たちが作成しておきながら、後になると確認できませんというわけですからね。「モリカケ問題」と同じですね。

 その後、「65海里」というマニュアルそのものが米国側に存在しないということも確認しております。本来ならば、そもそもこの文書は「本物なのか?」ということを確認しておくべきであったのですが、総理である私のところに持ってきた文書であり、そこまで書いてあるのなら仕方ないな、ということになってしまったのです。

 米国側が作為したものではなく、日本側の役人が総理である私を欺いてまで辺野古に基地を作らせようとして“作文した偽のペーパー”だったと断じざるを得ません。米国の意図というより、米国の考えを忖度し、日本が米国の属国であることを認める日本の官僚たちが私を謀ったということであります。今から思えば役人の言うことをそのまま信じるのではなく、様々な角度から調べるべきであったのに、それをしなかったことが、結果的に辺野古に戻るということになってしまったのです。

 私が、沖縄の方々に大きな期待を持たせてしまっただけに、その後「怒怒怒怒怒」という紙を突きつけられて、これは万事休す、責任を取るしかないということで総理を辞める決断をしました。

沖縄の皆さんと共に

 普天間移設問題で私が挫折をした経緯を述べたところでございますが、だからと言って自分が許されるということではございません。このようなことで自分の思いが叶わなかったことで、沖縄の皆さんが辺野古への移設で苦しんでおられることを思うと、自分の責任として申し訳ない思いを感じますし、自分としては極力沖縄の皆さん方の気持ちを理解して、“辺野古NO!だ”という結論がでるまで一緒に闘わなければならないと考えております。

 現在は年に3,4回は辺野古を訪れ、地元の皆さんとお会いしています。ある時は辺野古に土砂などを積んだトラックが何台もやってきて、それが強行に基地へ入っていくのがあまりにひどい話なので、反対派の皆さんと座り込みを一緒にしたこともあります。

 辺野古への移設反対で闘っている人たちは、誰一人自分のエゴのためではなく、平和で素晴らしい環境を守るために、辺野古に基地を造らせてはならないという理解の下で行動されています。

軍事力強化による「抑止」か、「対話と協調」による「抑止」か

 私はそもそも平和というものは武力によっては作れないのだということを思ってきました。

 人を殺しておきながらそれで平和になったなどということはどう考えたって本物の平和ではありません。その意味で、戦争は絶対に起こしてはいけない、人を傷つけるということもやってはならないのです。そうではなくて“対話と協調の外交努力”によって、平和な国にしていかなければならないと思っています。

 安倍首相にはどうもそのような気持ちが欠如しているようでありまして、辺野古への移設を強行していく一方で、宮古島、石垣島、与那国島などに自衛隊を新たに増強配備しようとしています。

 この夏、この三つの島を訪れて、自衛隊の基地ができている(できようとしている)現実を垣間見て残念に思いました。

 沖縄はかつて琉球王国の時代があり、その琉球王国時代は武力をもたない、まさに平和主義の対話交渉による協調で東アジアの国々と交流していたわけであり、日本とも中国とも友好関係を持っていたことが歴史的事実ですが、薩摩・島津藩の圧政を経ながら、明治政府の下で日本が琉球を強制的に近代日本国家に組み込んでいった、いわゆる「琉球処分」に至ったわけです。

 かつての対話と協調で平和主義を進めていた琉球・沖縄にもう一度戻すべきであるというのが、私の沖縄に対する率直な気持ちであります。

 米軍基地はいらない、時間がかかっても米軍基地のない島にしていかなければなりません。

 ではどうすればそれが実現できるのか、私は次のように考えています。

 米軍による安全保障、それは必要なことではありますが、平時には米国の駐留は必要ない、基地も日本から撤退していただいて結構です。しかし、日本の存亡が危うくなるようなぎりぎりのところでは米国に協力を求めるという考え方、すなわち「常時駐留なき安全保障」という考え方があり得るのではないかということです。

 その一環として沖縄の普天間問題のことを考えれば、“最低でも県外、できれば国外”ということが出てくるのです。その発想をさらに詰めていけば、米軍に頼ることもなく日本が完全な独立国として、この国は日本人で守っていくことができるという状況をつくっていくことにつながっていきます。

 しかし、自分の国は自分で守るからといって、自衛隊を増強するということではありません。周辺諸国との友好関係を強化すればいいのです。

 周辺の国々とより良好な関係を結べば、脅威というものは生まれないわけで、柳澤協二氏(元内閣官房副長官補・防衛省運用局長)の本によれば“脅威=能力×意図”であり、能力というのは武力・軍事力のこと、そして意図、この国をやっつけてしまえというような意図があるかないか、ということです。

 この意図を減らしてしまえば大した軍事力を持つ必要はないのです。当然、万一ということに備える防衛力は必要と思いますが、それ以上に周辺の国々と仲良くしていくことの方がはるかに大きな価値があると思います。その方向に向けて努力をしていくことが、自衛隊の能力を高めないで平和を維持することができると思っています。

 私は、このような発想の下で “東アジア共同体”という考え方を総理の時にお示しをしたのでございます。

 私はこの国が周辺諸国とより協力的な関係になることが最大の安全保障だと思っています。

 「抑止力」―これを柳澤さんは軍事用語といいますが―“真の抑止力”というのは対話と協調を醸成することで、相手が尊敬するような国になればそれが「抑止力」となり、その国はそれで充分安全であると柳澤さんは言っています。

 私は“学べば学ぶほど抑止力…”というような屁理屈をつくって辺野古に戻すようなことをしてしまいました。今から考えれば完全な誤りであります。当時、徳之島もダメかと追いつめられて、辺野古に戻らざるを得ないという環境の中で、自分の理屈を正当化するために、「抑止力」という言葉を使ってしまったのです。

 今は「抑止力」という言葉を軍事用語として捉えるのではなくて、相手が自分たちを攻撃してくるということがない状況をつくること自体が「抑止力」だと考えています。自分の国が相手国に好まれるという状況をつくれば、それが真の意味で「抑止力」になると考え、そのような意味の「抑止力」を高めるための努力を外交で行うことが重要なのではないかと思います。

「核抑止力論」の危うさ

 つい先日、「ICAN」がノーベル平和賞を受賞したことはおめでたいことですが、日本の政府は必ずしも喜んではいないようです。あのような核廃絶のための行動が積み重ねられ、核兵器を使うことは違法であるという考え方、核兵器を使わせない条約としてせっかく世界中の国々が集まって作ったものを、唯一の被爆国である日本が賛成をしないということは世界の国から見ると“何たる国か”との失望感が漂っていて当然なことだと思います。

 日本は常套文句“米国の核の傘”という「抑止力」の中に入っているので、日本政府は米国を意識せざるを得ないのでしょう。米国がそんな条約には賛成しないとなれば、日本としては賛成できないということになり、「ICAN」に冷ややかな態度になるのだと思います。

 広島市の松井市長が“核の傘の下にいるということは「イル―ジョン」だ”と言われましたが、この認識は正しいと思います。孫崎享氏(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所長)も述べていますが、「核の傘の下にあるから安全だということは言えない」ということです。

 例を挙げますと、あり得ない話ですが、仮に日中関係が尖閣問題などで危なくなってきたとした場合、中国が日本に対して核兵器で威嚇をしてくる―例えば東京を核で火の海にするぞと脅してきた―場合、日本としては、日米同盟があり、米国の核の傘の下にいるから、日本がやられる時は、当然米国が中国を核で攻撃しますよ、と威嚇する。そうなると中国は、それをやられたら困るからということで日本に対する攻撃を控えるということを選択する、という考え方が核の傘の論理です。

 しかし、現実はそのように終わるかどうかは分かりません。そんなことをしたら逆に中国は、米国を核兵器で攻撃するということになるかもしれません。とすると、米国としては尖閣問題で日中がガタガタしたことによって、米国本土が火の海になるような選択肢を果たして採るかどうか。米国は日本を守ることは止める、ということになる可能性があります。ですから、決して核の傘の下にあるからといって安全だとは言えないのです。

 この例のように「核抑止論」というのは政治的には意味は持つのですが、実際にその時なった場合、「核抑止論」に効果はないということになります。

 日中の間の尖閣問題で日本が軍事力―「抑止力」―を高めようとすれば、それに合わせて中国も軍事力―「抑止力」―を高めるということになり、そうすれば日本はさらに高めなければならなくなり、「抑止力」という軍事力増強の競争になります。

 そうすると、どこかで偶発的な一触即発の事態を引き起こしてしまう危険性が高まり、「抑止力」と思っていたことが、パラドックスとなり、結果として紛争が起こりやすい環境をつくってしまうことになるのです。

 そういう意味で、武力による抑止効果、核に頼る抑止効果を日本は安易に考えるべきではないと思います。柳澤さんとの共著(「抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は『最低でも国外』」)でも、抑止力を高めることが安全を担保するということではない、ということを書いています。

 平和をつくるのは、あくまでも“対話と協調”によって隣国と仲良くしていくことだということです。

 そうは言っても中国は軍事力を高めているではないか、そうは言っても中国は尖閣諸島や南シナ海に進出しているではないか、という人がいるかもしれません。確かに中国は軍事力を強めていますが、日本はGDP比1%程度の防衛費、中国は1.3%でそんなに大きな違いはありません。米国は3.3%が軍事費です。中国は軍事力をどんどん伸ばしているから脅威だという人がいますが、ある意味では経済成長に従って伸びている程度のものです。

東アジア共同体について

 尖閣諸島の問題は、1972年の周恩来・田中角栄の会談で45年前に日中国交正常化する時に、田中角栄首相からこの問題が出され、それに対して周恩来首相が、今は日中の国交回復の方が大事なので、この問題は後の世代に任せるとして今は棚上げしておきましょうということで田中首相もそれに合意したものです。

 それなのに、野田政権の時、石原都知事の「策謀」に引っかかってしまったのか、東京都の所有より、国有化した方がいいと誤った判断をし、棚に上げていたものを引きずり降ろしてしまったがために、中国としても何か言わなければという状況になってしまったのです。

 日本側がつくってしまった問題ですから、日本側からもう一度棚に上げましょうという状況をつくっていけばよいだけの話です。

 南シナ海でも領有権の問題がありますが、今、アセアンと中国との間で南シナ海に対して法的拘束力のある何らかの決め事を作り上げていきましょうということになっています。日本はそれを待つべきであって、中国脅威論を振りかざし、けしからんとばかり外野から言っていることは、決してこの問題の解決にはつながらないと思います。

 “中国の脅威がある、だから抑止力(武力)を高めなければいけない”というのはナンセンスだと思います。もしそうした懸念があるとするならば、対話と協調という路線をどうやってつくるかということにより知恵を使っていく必要があると思います。

 11月30日に、「自由と国際フォーラム」という集まりが中国の広州であり、潘基文前国連事務総長、韓国・韓昇洙元首相など、世界の元大統領、元首相の方々が20名余り参加され、会議終了後、北京で習近平主席とお会いしました。

 その時の習近平主席の記憶に残る言葉があります。「一つの花が咲いても春ではない。百すべての花が咲いた時が春である」という中国の諺を紹介され、中国には、まだ貧困層が残っているけれども2020年までに貧困層を一人も残さない、すべての人を貧困から解放するという意気ごみを示されていました。また、アフリカとか海外の貧困対策にも惜しみなく支援していきましょうということをおっしゃっていました。

 また習近平主席は、私たちはこの地球という惑星で生活をする運命共同体です。だから私たちには他国を侵略するというDNAはありません、他国に内政干渉することもありませんというお話もされました。ただ、屈辱的なことをされればそれなりに戦わなければならないということはあるが、しかし自分の方から侵略をすることは一切ありませんということです。

 最後に、このフォーラムの纏めをする役が私に回ってきましたので、第19回共産党大会での習近平主席の演説は歴史的にも貴重な演説だということ、また「一帯一路」を推進していくためにはAIIB(アジアインフラ投資銀行)の国際諮問委員を務めている立場から、できる限り日本からもAIIBに参加できる環境をつくっていきたいということを申し上げてきたところです。

 残念ながらまだ日本の環境はそこまできていないのですが、安倍首相が最近日中関係を改善していきたいという気持ちをお持ちになってきたようなので、私としては、その事には協力は惜しまないと考えています。

 今、日中、日韓にはさまざまな問題がありますがそれらを議論していく場が必要だと考えています。教育問題、環境問題、エイズ問題にしろ、安全保障問題、医療介護の問題など様々な問題を一堂に会して議論していくべき場が必要だと考えているところです。 

 「東アジア共同体会議」を作り、それを将来EU議会みたいなものにし、その中心を沖縄に置きたいと考えております。EU議会もベルギーにあることを考えれば、東京のような大都市に置く必要もないと思えます。一番米国の基地問題で悩まれているところ、基地が集中しているところを“軍事力の要石”ではなく“平和の要石“にしていく、沖縄に東アジア共同体会議を作り上げていく、これが自分の夢として一番やりたいことです。

 そこで様々なことについて議論し東アジアの国々の協力関係を作り上げていく。

 その中に将来的には北朝鮮が参加してもよい。拉致問題を解決していくためにもお互いがけんか腰ではなく、お互いの心が合ったところで、“そこまで言うのなら、分かった”となっていくような活動を醸成していくしかないと思います。

 そのためには北朝鮮が参加しやすい雰囲気を作っていくことが大切です。スポーツ交流、例えば、北朝鮮を含む中国や韓国や日本、東アジアの国々で卓球大会などの催しをやってもいいと思っています。

 先月、私が理事長を務める東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター主催で、“東アジア麺ロード”―シルクロードをもじって―を開催し、東アジアのいろいろな麺を食べて頂くイベントを行い、大変盛況でした。東アジアのそれぞれ違った麺ではありましたが、共通項もありました。

 いろいろな違いというものを認め合うということ、私はこれを“友愛”と呼んでいて、“友愛”ということを“東アジア麺ロード”の取り組みで感じたものです。

 東アジアの国々には大きな違いもありますが、共通するものも多くあります。私は、それぞれの国の独自性と共通項をうまくつなぎ、理解していくための場を提供していきたいと考えています。

 このような活動をやっていく中で、東アジアの人々との交流の場ができていく、そのような活動を東アジア共同体研究所では行っているところです。

 大阪の皆さん方もいろんな発想をお持ちでしょうから、沖縄を舞台として東アジアが協力していけるような活動をして下さることを期待しています。