ファイナル講演会 『朝鮮半島平和と沖縄』徐勝(ソ・スン)さん(3月22日)

  「関西・沖縄戦を考える会」は「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」の後継組織として2012年6月に発足しました。以来7年間、沖縄戦に関連する21回の講演会を開催し、会員の皆様はじめ多くの市民の方々と沖縄戦の実相、琉球・沖縄への差別の歴史、新基地建設や沖縄の軍事化の問題などについて学び、共有化をしてまいりました。
 最終回となる今回は、この会を締めくくるにふさわしく、韓国又石(ウソク)大学教授で「東アジア平和研究所」所長として活躍されている徐勝先生に、和解が進む朝鮮半島の平和構築の動きと関連付けて“沖縄”のお話をいただきました。

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関西・沖縄戦を考える会ファイナル講演会

朝鮮半島平和と沖縄 

韓国又石(ウソク)大学教授・
「東アジア平和研究所」所長  徐 勝

2019年3月22日

はじめに、 私と沖縄

 私はこれまで沖縄にそれなりに関わってきました。昨年4月から韓国全州の又石(ウソク)大学で仕事をしています。 10月に「東アジア平和研究所」を立ち上げ、今年はプロジェクト申請をして研究所の体裁を整えるべく努力しています。私たちが 研究テーマとして計画しているのは、「朝鮮半島平和の時代と東アジアの変貌」です。「東アジア平和研究所」の発足式のとき、鳩山由紀夫さんのやっている東アジア共同体研究所、琉球・沖縄センターの人たちにも来ていただいて、「辺野古は今」という写真展を開催しました。私は東アジア平和の問題を、沖縄と朝鮮半島平和を軸に考えてきましたので、毎年のように沖縄へは訪れています。今回準備しているプロジェクトにも重要なテーマとして沖縄の平和運動、平和主義を入れようと思っています。

 今回、この講演会に招いてくださった服部さんとは1998年12月に沖縄の南城市佐敷の文化会館で「東アジアの冷戦と国家テロリズム」という国際シンポジウムを開催しました。韓国、台湾、沖縄、日本の皆さんなど500名ほどの人が集まって大きなシンポジウムを行いました。その時、服部さんは日本事務局長(沖縄事務局長は高良鉄美さん)で、私は国際コーディネーターを務めました。

 今回、大江健三郎さんの『沖縄ノート』を読みました。すごかったですね。苦しかったですね。

 内容は本土復帰運動に関する様々な内在的な矛盾、日本人として沖縄の人たちの非現実的なかつ理想主義的な希望に応えることが出来ない、沖縄の人たちの思いを現実化する、心理的・現実的条件を持たないことへの苦しみが出ています。そこに私は興味を感じました。

植民地支配とはどういうことか

 2009年に「沖縄の自治・独立を考える会」が主催する「薩摩の琉球侵略400周年を考える」というシンポジウムに招かれ、基調報告をさせていただきました。私は薩摩の侵略以来、特に明治の琉球併合以来、沖縄は明らかに日本の植民地だと考えてきました。ところが「沖縄の自治・独立を考える会」の人たち、例えば金城実さんたちもなかなか「独立」とは言いきれないでいました。用心して「自治」だとか「自立」だとかいう言葉を使っていました。私は、それは「おかしいじゃないか」と言いました。

 植民地とは、自分が所属する一定の集団が他の集団に隷属して、自らの運命を決定できない状態を言います。すなわち「主権」=自己決定権を持たない、奴隷です。集団として自らの運命を自ら決定することができない集団は植民地奴隷です。

 朝鮮も日本に植民地化され、自らの運命を自ら決定することができない状態に置かれていたのでよく分かります。

 薩摩の琉球侵略や明治以降の侵略も朝鮮史と様々な関係があります。薩摩の軍勢は豊臣秀吉の命令で朝鮮半島に出兵して、陶工などを連れて来るなどの一定の「成果」はあったとしても、大きな戦いなしに帰ってきたのです。それで出兵の勢いをかって琉球に攻め込み、琉球を実質的に植民地にしたのです。このような経緯も含めて、私は明治以降、米軍支配に至るまでの沖縄の状況は日本による植民地支配だと考えます。ところが沖縄の人たちは、このことに同意しない人たちが多いのです。

 1999年に立命館大学で台湾問題の専門家であり、『日本植民地支配下の台湾と沖縄』という本を書かれた又吉盛清(沖縄大学の教授、当時、浦添図書館長)さんを招いて、研究会をやりました。そこに京都沖縄県人会の会長も来ました。私はレジュメのタイトルに間違って、『日本植民地支配下の沖縄と台湾』と書いてしまいました。そのレジュメを見た県人会会長が立ちあがって抗議をしたのです。彼は沖縄は日本の植民地ではないと指摘されました。私は、内心、「沖縄も日本の植民地だろう」と思いながら、「ごめんなさい、間違いました」というよりありませんでした。

 お世話になり尊敬してきた新崎盛暉先生に沖縄大学にお招きいただいた時、新崎先生に「明治以降、沖縄は日本の植民地だったのではありませんか、そのような歴史資料があったら教えてください」と言ったら、新崎先生は「沖縄は日本の一地方であって植民地ではない」と、きっぱりとおっしゃられました。この先生にしてもそうなのか、と思いました。

 朝鮮半島でも類似した話があります。 相手はそうは思っていないのに、相手とアイデンティティーを一致させたいという従属的な同調意識があるのです。日本植民地下の朝鮮において、いわゆる「親日派」は日本人よりもっと日本人らしくなりたいという意識を持っていました。そのために過剰同調をする場合があります。例えば、朝鮮人がたくさん住んでいた満州の間島で独立武装闘争が起きて、抗日ゲリラを鎮圧する「間島特設隊」という討伐部隊が編成されました。悪どいことにはその討伐部隊は、隊長の秋月少佐を除いて、全員朝鮮人で編成されたのです。「豆殻をもって豆を煮る」というやり方です。親日派の朝鮮人は日本人以上に日本人に忠誠を尽くそうとしました。後に韓国軍の中核の将軍になっていく人間たちです。

 1945年8月15日、隊員たちが敗戦の玉音放送を聴いて、秋月大隊長が「武運拙く日本は敗戦した。諸君は各自家に帰れ」と訓示しました。すると、朝鮮人隊員が大隊長に対して「売国奴、神国日本が負けるはずがない、卑怯者」と言って、刀で切りかかったと言います。

 分断された韓国で、共産主義者「アカ」を退治するのに最前線で誰よりも激烈残忍に「アカ狩り」をやったのは殆ど北朝鮮出身者だった、ということもあります。

 このように、被害者が常に一方的に被害者だと言えない複雑な問題があります。抑圧されている人たちは、抑圧から抜け出したい気持ちから、抑圧する人間に自分を同一化させたいという願望を持つ場合があるのです。

この10年で変わってきた沖縄

 私が『京郷(キョンヒャン)新聞』という韓国の新聞に連載しているコラムで、2月に沖縄の新知事について書いています。沖縄県知事選で辺野古新基地建設に反対するデニーさんが当選したことはすごい出来事です。私が考えさせられたことは彼の出自についてです。米海兵隊員であった彼の父親は、妻も子どもも置き去りにしてアメリカへ帰りました。デニーさんは父親の名前も知らないといいます。彼は今度の選挙戦で、第一声を母親の出身地である伊江島の城山(タッチュウ)から始めたのです。自分自身の出自を明瞭に認識しながら、自分のアイデンティティーを作り自分の政治的な立場を打ち出そうとしているデニーさんの強い意思を感じました。デニーさんは「あいの子、混血」といわれたこともあり、母親が米兵相手の職業をしていたと推察されることも堂々と明らかにしながら知事選に出馬し、沖縄県民たちが彼を支持したのです。ここがすごいと思うのです。独立も自治も言えなかった10年前に比べて、現在の沖縄は大きく変わってきたと思います。

「平和」憲法と言われるが・・・

 「平和」という言葉は非常に多義的なので、気安く平和を語る人間をあまり信じてはなりません。

 安倍首相は「平和」の上に「積極的」という言葉を付け「積極的平和主義」と言っています。

 これはパワーポリティックスの国際政治学的手法で、力による安全保障、平和維持を意味しますが、実際は平和でなく多くの戦争を引き起こしてきました。

 平和憲法について多くの純粋素朴な人たちは、「非武装、戦争放棄」は素晴らしい、世界最高の理想的な憲法だとおっしゃる。 解釈改憲によって実質とは乖離したものになっていることは別にしても、私はそのような言説にすっきり納得できないところがあります。

 日本を占領した米軍は、その占領目的を全うするために、天皇を処罰しないで、天皇制を維持しました。国連憲章の規定から見ても、戦犯国の最高責任者である天皇をどうして処罰しないのかという対日理事会理事国の素朴な疑問に対して、アメリカは日本を再び戦争できない国、軍備を持たない国にするので容認するように説得し、アメリカの意思を貫徹しました。

 アメリカのこのような占領計画は、戦争が終わって突然に思い付いたのではなく、戦争が始まった翌年の1942年に「対日占領政策委員会」が設置され、そこで天皇制研究チームを作り、研究を進めていました。後に駐日大使となるライシャワーを責任者とする研究チームは、天皇を生かしてアメリカの協力者にすることが賢明な日本占領政策であると建言しました。その通りに天皇を処罰しないで徹底的にアメリカが使えるようにしたのです。天皇がマッカーサーと一緒に写った写真は、天皇の「人間宣言」と共に天皇の神格破壊の重要な契機を作りました。新聞の一面を飾った天皇は矮小で、マッカーサーの脇の下までしかとどかず、アメリカの脇の下にいるという印象を日本の人々の脳裏に植え付けました。

 平和憲法は天皇制を残存させるための相殺装置として作られたのです。 古関彰一さんなどの専門家たちが、憲法制定過程に関して明らかにしています。

 憲法の平和主義に関するもう一つの問題は、日本の非武装平和主義は空論だ、実現性のない空想論だという攻撃がある半面、非武装中立主義は素晴らしいという二つの論がありますが、どちらも憲法が存在する外部環境を論じていない点です。空想説を論じる人間も理想説を語る人間も、憲法9条の「中身」だけを論じています。戦後日本の平和主義は、「平和」という「卵の中身」が「卵の殻」である「米軍の武力と核の傘」にすっぽりと包まれていて、その中では純真無垢に安眠できる構造になっています。

 日本は戦後7年間のアメリカの軍事統治を経て、サンフランシスコ講和条約をもって主権回復を果たしたといわれていますが、本当に主権を回復したのでしょうか。国家主権は、外交主権と軍事主権で構成されています(プラス外国からの承認)が、憲法9条によって、軍事主権は存在しない状態であり、アメリカの意図に左右されて外交主権も行使しえてきたとは言えません。サンフランシスコ講和条約の締結と同時に日米安保条約が結ばれ、また台湾との日華平和条約も締結し、サ条約、日米安全保障条約、日華平和条約 の3点セットが1952年4月28日に発効するのです。

 日米安保条約は7年間の米軍の駐留が終わってもアメリカの継続駐留を保障するものです。

 日本は9条によって合法的な軍事力が許可されず、保持したとしても行使することはできない。日本の軍事力はアメリカが掣肘して、日本全体をアメリカがコントロールすることになっています。だからガヴァン・マコーマックは、日本はアメリカの属国であると言っています。日本は主権を回復したといっても「全き主権」を持っているのではないのです。だからといって、日本が軍事主権を持つべきだという論議にはなりません。岸信介にしても安倍晋三にしても日本の軍事主権を回復して一人前の国として昔のような栄光を実現したいという妄想を持っていますが、軍国主義の復活は、被害者である日本と東アジアの人民が決して認めることができず、アメリカも受け入れないでしょう。平和主義が実質的に根付くためには、日本人が主権者として自らの軍事主権の問題を考え決定していかなければならないのです。

 21世紀の今においても、日本はまだ十分な主権国家ではないと言うと、抵抗感を感じられる方がおられるかと思いますが、これは本質的な問題だと考えています。

平和憲法と沖縄の本土復帰運動

 中身は平和、外側は核と駐日米軍という、二重構造の平和憲法の下で、沖縄では1960年代に本土復帰運動が盛り上がりました。その時のスローガンは「平和憲法の下に帰る」でしたが、これは「沖縄の米軍占領状態をそのまま継続するのか」という議論です。私は、本土復帰すれば問題は解決するという言説には問題があったのではないかと考えています。平和主義、平和憲法がすっぽりと毒饅頭で包まれていることを認識すべきだったと思います。もちろん復帰運動の動機はそれだけではなかったでしょう。国際平和運動や東西両陣営による国際政治の影響なども受けたでしょう。私も高校生の頃「沖縄を返せ」のデモに参加したことがありました。伊丹空港を人間の鎖で取り囲んで「固き土を破りて」の歌を歌いながらデモをやったこともありました。その当時の沖縄の進歩的な人たちは、無条件にアメリカの支配から脱したいという強い気持ちがあって「復帰論」になったのだと思います。今だから言えるのですが、結果は「復帰」してみたら同じ仏様の掌の中だったということです。

抑圧・支配への抵抗としての人権

 ようやく最近になって、沖縄は自らの運命を自らが決める方向に変わってきたと思います。

 『世界』3月号に新城郁夫さんは「自律する沖縄」という論文を発表しています。その中でやはり「独立」という言葉は使えなくて「自律」と書いていますが、沖縄は「自律的運動体」に変わりつつあると書いています。沖縄はかつてとはちがって自らの運命を自ら決定する方向性を明らかにしています。

 翁長前知事が打ち出した「イデオロギーよりアイデンティティー」 に込められた意味も同じだと思います。政治的な対決の地形、構図がアイデンティティーの問題に移行してきているのです。

 帝国主義が東アジアに侵入して以来、この地域の人たちは帝国主義侵略に反対する反帝・抗日運動を行ってきたわけです。その運動の中から毛沢東やベトナムのホーチミンや朝鮮の金日成などが現れました。彼らは共産主義思想を媒介にして独立運動を追及しました。その本質はどこにあるのか。

 例えば、金日成主席は回想録、『世紀と共に』で、民族の解放や独立を実現するために共産主義を選択してきたと書いています。ホーチミンもそうです。このように「イデオロギーよりアイデンティティー」という概念は帝国主義侵略があった初めから存在していたのです。様々なイデオロギーは民族解放を獲得するための手段であって、時々によって変わっていったのです。抑圧される者が抑圧する者に対する抵抗としてイデオロギーが利用されたと言えるでしょう。

 光州事件を中心に書いた私の論文『東アジアにおける人間の解放、民族の解放-真の普遍主義に向けて』で、人権の基礎は抵抗権であると書いています。社会契約説で近代市民社会の根底にあるものは 、人民が主権者として社会の主人になり、人民の契約によって作られた公権力(国家権力、国家暴力)はどこまでも主権者の統制に従うべきで、もし、その約束が破られれば、公権力に抵抗する権利を持つので、暴力で、その政権を倒す権利があるというのが抵抗権の概念です。フランス人権宣言やアメリカ独立宣言の人権概念の基礎にはこの抵抗権が存在しているのです。

 歴史的な条件や政治経済的、地理的な条件によっては、権利を実際に十分に行使できるかどうか分かりませんが、韓国のキャンドルデモは 、誰が国の政治の決定権者なのかを明かにしました。数百万人のキャンドルデモにおいて若者たちが叫んだのは、韓国憲法第1条第2項の「大韓民国の主権は国民にある。すべての権力は国民から発する」というくだりだったのです。

 沖縄の本土復帰以降、特に1995年少女暴行事件以降の流れを見ていると、政策的な選択をめぐる事柄よりも沖縄の人たちが全体として、共同の運命を背負い、日本から抑圧を受けているという自覚を明確にしてきていると思います。東アジアにおいて、また世界においても、誰によって抑圧されているのかを明確にして、外部からの不当な干渉や侵略に対抗する、主権者、決定権者連帯を作り上げて行くべきだと思います。

日本の「平和主義」について

 植民地支配国の国民は大江健三郎さんのように内面的な葛藤を経ながらも、大多数の人たちはそこに安住する面があります。日本の平和主義には平和を願う面がありますが、一歩外に出ると矛盾した面が現れます。「内向きの平和主義」と言われたりもします。

 例えば、日本には自治体が1800ぐらいありますが、8割近く「非核平和都市宣言」を打ち出しています。非核平和都市宣言の考え方には、日本人は被爆者であり被害者だから核はない方がいいと横並び的にやっていますが、その非核・平和を宣言している都市の市民たちは、様々な平和問題、アメリカの核独占、沖縄、天皇制、自衛隊、靖国神社などの問題については矛盾した態度をとっています。歴史認識問題、従軍慰安婦問題、南京虐殺の問題、強制連行などなどの問題について、全く「平和主義」にもとる価値観を持っている人たちが多くいます。

 非武装、不戦、侵略しないという価値観を持つなら、戦争神社である靖国問題に明確な態度をとることが求められるはずです。天皇と戦争の問題では、先代の天皇に責任があると言えますが、日本人は、天皇は平和主義者だとして、天皇に寄りかかっているところがあり、天皇平和主義、天皇民主主義などと言われてきました。このように、日本の平和主義は、一面において自己欺瞞装置として機能しているのです。

主権意識の連帯を

 第二次世界大戦が終わって、朝鮮半島は解放されるべき地域だったのですが、米ソに分断され、分断国家としての歴史を歩んできました。分断は朝鮮半島に住んでいる人たちの最大の不幸ですが、 このことが東アジアの国際政治の中で悪用され、「だし」として使われてきました。

 東アジアの平和を実現するためには、朝鮮半島の平和を実現し、分断状況を解消するか緩和する必要があります。そのイニシァチブが今、朝鮮半島の内部から出てきています。キャンドルデモとそれによって生まれた民主政権が取ったイニシァチブがあります。政治的には文在寅(ムン・ジェイン)大統領の南北和解の動きがあり、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の大胆で緻密な提案がそれに噛み合って今日の状況を作り出してきました。それが昨年9月のピョンヤン南北共同(平和)宣言に現れています。

 朝鮮半島における平和の過程は、昨年、平昌オリンピックと3度にわたる南北会談、以後の米朝会談に至る一連の過程によって生み出されたものです。今回のハノイ米朝会談はアメリカの一方的な要求によって挫折しました。今後は予測しがたいところです。最悪の場合、また昔のような状態に舞い戻るかもしれませんが、専門家たちはそうはならないだろうと言っています。

 トランプ大統領の登場を韓国の専門家たちは一応、歓迎しています。かといってトランプ大統領を人間的に信頼しているわけではせん。彼はペテン師で、嘘つきで、金の亡者です。決して信用できません。ただ、彼は反エスタブリッシュメントで、ヒラリー・クリントンやオバマなどのエリートに本能的な反感を持っており、歴代の大統領とは違った政策、新しい機会を作り出す可能性があるので肯定的に捉えているようです。

 朝鮮半島では“今はチャンス”だという認識があり、この機会を機敏に捉えて後戻りさせないように、くぎ付けにしようという考えがあります。しかしそう簡単にはいきません。アメリカの力はまだまだ大きくて、文在寅さんが何かしようとすれば難癖を付けてきます。金正恩国務委員長が今年の新年演説で、金剛(クムガン)山の観光と開城(ケソン)工業団地の再開をしたいと言っています。最近、韓国では南北関係に関するセミナーや研究会がたくさん開かれています。そこで専門家は国連、アメリカ、韓国による3重の対北朝鮮制裁網の中でもやれることがたくさんあると言っています。特に韓国による独自制裁は、理論的には政権の意志によって解除できます。しかし、韓国が解除しようとしてもトランプが許さないので解決は当分むつかしい状況です。北朝鮮は核・ミサイルという交渉カードを持っています。南・北・米の交渉の過程で韓国には主権が無いことが明らかになりました。アメリカに対する交渉カードを持たない韓国が何を持ってアメリカを動かすのかということが問題です。

 朝鮮半島の問題は朝鮮半島の南北が決定するという覚悟を固めて、南北が連携してアメリカを圧迫するしかないと思います。朝鮮半島が大国アメリカを圧迫するとは大言壮語に聞こえるかもしれませんが、「ちっぽけな」沖縄が傲慢な安倍政権の喉に突き刺さった「とげ」であり、現在の政権に対して大きな難関を作り出しており、致命的な傷を与えつつあることを考えるならば、南北朝鮮が大国アメリカを圧迫することも出来なくはないと思います。

 東アジアの人々は長い間、帝国主義の支配を受けて、自らの運命をみずから決定できない状況で過ごしてきました。しかし、この間、主権意識を明瞭にしてきています。被抑圧者たちを集めて、「主権意識の連帯」を進めていくべきだと思います。

 沖縄のやり方、非常な忍耐力をもって非武装・非暴力の抵抗運動をやっていくのは“弱者の智恵”にもとづくやり方です。暴力を使えば、強大な暴力に負けるのは分かり切ったことですから、攻撃されても、すぐにやり返さないで、我慢して道徳的な優位性と人民の支持を確保していく戦術は不可避だと考えます。

最後に

 韓国の人は沖縄のことをあまり知りません。韓国の人に沖縄のことを知らせていきたいと考えて様々な取り組みをしています。例えば光州5・18財団の「光州人権賞」があります。この賞の受賞候補者として、沖縄平和運動センターの山城博治さんを推薦しましたが、残念ながら通りませんでした。5月末には知花昌一さんを韓国に招いて、沖縄の平和について高校生たちに話してもらい、お坊さんや仏教を中心に「平和運動家の私がなぜ仏教徒になったのか」という講演もやってもらうことになっています。微々たる試みですが韓国で沖縄の平和闘争とはいったい何なのか、その方法と意志を大いに韓国の人たちに学んでもらいたいと考えています。私は、現場でどうするのかを主に考えてきた者ですが、毎年2,3回、平和運動の最先端の現場への旅行を組織してきました。

 今、沖縄の運動が韓国と東アジア民衆闘争の運動にとっても核心だと考えているので、韓国の大学を拠点として“朝鮮半島平和と沖縄”の研究と実践に取り組んでいきたいと思います。

 みなさんのこれまでのご苦労を、私ができるならば発展させていきたいと思っています。

 カムサハムニダ。ありがとうございました。

質疑応答より

Q レジュメ「沖縄に対する抑圧」の箇所で「反差別闘争か?主権獲得闘争か?」について

 沖縄の独立とは、沖縄の人たち自身が決めていくことである。私は朝鮮人として近代以降の日本による朝鮮への植民地支配の問題を考えてきましたが、沖縄の人たちの本土復帰運動の論理は基本的には反差別運動であったと思います。日本帝国主義の時代における天皇の赤子として沖縄は継子扱いされているという認識・論理と通じることがなかったとは言えない。例えば、慰霊の問題や補償の問題でもそうであったと思います。

 この間、差別の問題と違った認識が沖縄の中で出てきている。松島泰勝さんだけではなく新城さんの「自律論」の中にも見出すことができます。沖縄の人たちが日本の施政権の枠の中でいろいろな闘いをやってきた中で、沖縄のことは沖縄人が最終的な決定権を持つべきだという方向性がだんだんと明らかになってきた。反差別闘争の議論は、在日朝鮮人においても、日本の中で差別されなければそれでいいではないかという論議につながります。抑圧する側は本当に心から多民族共生をやろうとしているでしょうか。多民族共生はアメリカでずっと言われてきたことですがなかなか実現はしない。そのことが日本では可能なのかと考えた場合、初めから断定するわけにはいかないが、経験則的にいって極めて難しいと思います。

 人権とは法の前の平等ということです。同じ平等な機会を与えることによって問題は解決するという考え方ですが実際にはそうはならない。法の前の平等概念がありながらも政治・経済・社会的なパワーの問題、つまり政治支配の問題があるからです。東アジア地域が帝国主義勢力と向かい合う時代にあって、帝国主義侵略がありそこに支配と被支配問題が生じます。その根本的な解決のために民族解放闘争が闘われ、その勝利によって解決されるものだと私は考えています。その関係が冷戦や大国の利害関係によって歪められてきた。韓国における「親日派」の問題は、日本の帝国主義支配の中で利益を得てきた連中が、冷戦状況の中で抜きがたく継続してイニシァチブを握ってきた問題であり、韓国政治を複雑に歪めてきた問題である。

 沖縄にしても薩摩の琉球支配から始まって明治における併合の過程は、沖縄の人たちが同意してそのように収斂させたものではない。一方的な日本の侵略と支配によってこのようになったわけです。ところがその過程で既得権を得た人たちが生まれ、親米派から親日派になって、現在では親安倍派、親自民党派という形でずっと続いてきている。だから、沖縄を差別しているだけではなく沖縄を支配している問題がより根本的な問題として存在しているのです。

Q ハノイ会談以後の「休戦協定を平和協定へ」の展望について

 戦争の終結の問題は休戦協定から平和協定へ向かっていく2段階の形になっていますが、韓国の文在寅大統領は昨年9月に平壌共同宣言と同時に軍事問題に関する合意書を交わしています。そこでは「お互いに戦争しない」、「挑発をしない」が謳われています。それに基づいて38度線一帯の軍事小哨を解除し宣伝用スピーカーを取り除き、地雷の撤去、海上における軍事境界線の解除などを行っています。この平壌宣言文で実質的に終戦宣言がなされたことになっています。ところがアメリカとの関係でどうなのかという問題が残っています。昨年から北朝鮮は核ミサイルの実験・発射を行っていません。ですから制裁をかける根拠が消滅したことになります。制裁を解除しても良さそうなのですが、アメリカは北朝鮮の追加的な核ミサイルの実験乃至発射の廃止がない限り、攻撃をしないという約束はできない、と政治宣伝を発しています。アメリカは東アジアにおける軍事支配の政策を遂行する上で、台湾海峡問題カードと朝鮮半島問題カードの二枚のカードを持っていて、これをうまく使い分けながら自分たちの軍事産業の利益を充足させることもあるし、国内政治への利用カードとして使うこともあります。このうまみを放棄することができるかどうかの問題があります。そこに至るまでは、北の核放棄とそれに対してアメリカが安全保障をどうするのかが残っていきます。ハノイ会談でトランプは具体的には平壌に代表部を置くとか外交的に一部制裁を解除するみたいなことを仄めかしはしましたが、北朝鮮が要求していることは“アメリカの侵略はないという安全の保障”こそが根本的な問題なのです。

 韓国政府においては、アメリカの圧力がありながらも相当真剣に制裁解除、南北交流と協力の推進を行っていて、持てる手段を総動員していかに現状突破をしていくかが課題になっています。

 北朝鮮も大変な状況であるが文在寅大統領の方がもっと厳しい状況に立たされている。捨て身の覚悟でこれから半年間の期間を突破しないといけない状況にある。

 今回アメリカと北朝鮮の交渉で明らかになったことは、北朝鮮の主権が弱いということより、韓国に主権がないということが明確になってきた。

 朝鮮半島の平和は北朝鮮の安全保障を約束すると同時に韓国の主権を回復する過程でもある。だからこの過程で南北併せて朝鮮民族の主権をどのように回復していくのかが実は朝鮮半島の平和プロセスである。韓国でこのようなことを言うと気を悪くする人もいますが、客観的に見れば、韓国も日本と同じぐらいにアメリカの属国なのです。

 今現在、戦争時における韓国軍の作戦指揮権はアメリカ軍が持っていて、内部の武器体系・情報体系などにおいてもそうです。アメリカが韓国から手をひくと韓国軍は軍事体制を維持できなくなるのは明らかです。今文在寅大統領にとって主権を回復し南北の協力関係を作りあげて、南北全体の民族の自主権(主権)を回復していく方向に水路付けができれば大きな成果だと言えます。

Q ①徐さん兄弟を逮捕した独裁政治の狙い、その意味は何だったのか。
  ②日本人の中の根深い在日韓国朝鮮人への蔑視感、このようなことを乗り越えて、両国民の間の友好連帯を作り出すにはどのようなことが必要か。      

 徴用工の問題は日韓会談で済んだ話だ、今更なぜ蒸し返すのかという言い方があります。しかし、日韓会談自身の定義づけで日本政府は過去清算のための会談だったとは言っていません。あの会談で過去の歴史に対する清算、賠償を日本は行っていません。日本国民が韓国・朝鮮や在日朝鮮人に対する蔑視をいまだに持っているのは、この日韓会談で過去清算が行われなかったことに原因があると私は考えています。

 アメリカが天皇を生かして利用したのと同じように、戦後アメリカの占領政策の中で日本の過去清算をやってこなかったからこのようなことが起きてしまう。戦後日本はアメリカにいかに協力するかに主眼をおいて、アジアには目を向けてこなかった。そういうことが整理されていない中で、日本国民が反省するようなことを期待することはできない。

 遅きに失したことになるが、遅くてもちゃんと“歴史に対するおさらい”をやって、整理をしないといけない。歴史問題における事実関係を明らかにし、その中で誰がどのように責任をとるべきか認識をはっきりさせることが大事なことです。

 未だ歴史の大きな過程は清算されてはいないが、現在の朝鮮半島の動きを見ていると、私たちが行ったシンポジュウム「東アジアの冷戦と国家テロリズム」の取り組みは小さな市民運動であったけど途轍もない大きなことをやったんだと言えます。

 沖縄の問題にしても、現在のような地形になるとは思っていませんでした。翁長さんやデニーさんを沖縄の人たちが押し立てて、沖縄の主人は自分たちだという地形を作ってきたのですから非常に大きなことだと思います。

 

 在日朝鮮人で、スパイ団事件に関連して、刑を受けた人だけで200名以上います。

 実はわれわれ在日朝鮮人だけではなくて、韓国にいる漁夫、漁民の人たちが魚を捕るために38度線を越境して北朝鮮に拿捕され抑留された人たちがいます。その人たちは韓国に帰ってくると北朝鮮で思想教育を受けたのではないかという疑念から情報部によって取り調べを受けます。

 韓国では廬武鉉さんの時代の民主化過程から真相解明がなされて、事件の見直しが進められ、冤罪であったり、過大な誇張であったりしていたことが明らかになってきました。逆に言えば、当時独裁政権の中で過大に取り上げたり捏造したりしていたということです。

 文在寅さんが3・1独立運動100周年演説の中で「アカづくり」がどれだけ韓国朝鮮の歴史に被害を与えてきたかと述べていますが画期的なことです。明らかなことですが韓国では安保危機が言われ、スケープゴートを作り出しながら、頼れるのは強い軍事政権、暴力的な政権でないと「アカ」にやられるんだという雰囲気を作り出し、みせしめのための事件を作り出してきました。

 1970年ごろ、金大中さんを支持する50万人の人たちがソウルで集まりました。この人たちを制圧するために軍事力を動員し、テロによる圧倒的心理的恐怖状況が意図的に作り出されました。在日朝鮮人だけでなく、韓国の漁夫、労働者、教員の中にスパイ団事件を作り出すということが韓国社会のあらゆる局面であったことが明らかになって、現在、権利回復が進められています。