第5回講演会 未だ終わらない沖縄戦 ~終戦から67年目の調査から~

第5回講演会 2013年10月18日

當山 冨士子さん (沖縄戦・精神保健研究会代表、元沖縄県立看護大教授)

「未だ終わらない沖縄戦」 ~終戦から67年目の調査から~

 元沖縄県立看護大学教授、沖縄戦トラウマ研究会代表、沖縄戦・精神保健研究会代表をされている當山冨士子さんは、2012年4月から2013年2月まで、沖縄戦の戦火の只中を生き抜いてきた人たちが、沖縄戦の惨禍によってどのような影響を受けているかを調査し、そのまとめを発表した。その調査は、戦後67年が経過した現在にあっても沖縄戦が体験者の心に重大な傷を与え、苦しみ続けている人たちの実態を明らかにしている。

 沖縄タイムス(2013年6月14日付)は當山さん達の調査活動を一面トップで大きく取り上げ、次のように報じている。

 「沖縄戦を体験した高齢者の4割が、深刻な心の傷(トラウマ)を抱え、心的外傷ストレス障害(PTSD)を発症したり、今後発症する可能性があることが分かった。県内の精神保健に関わる専門家らが沖縄本島や周辺離島を含む8市町村で約400人の高齢者を対象に沖縄戦が与えた影響について調べた。悲惨な体験に加え、戦後も米軍基地から派生する事件事故、騒音被害などが戦争を思い出させ、戦後68年たっても高齢者の生活を脅かしていることが浮き彫りになった。沖縄戦体験者のトラウマについての大規模調査は初めてという」

「未だ終わらない沖縄戦」 ~終戦から67年目の調査から~

當山さんのお話

Ⅰ 沖縄戦とは

 「太平洋戦争の末期に南西諸島、とくに沖縄本島およびその周辺の島々で、一般住民を巻き込み展開された地上戦である。沖縄戦の最大の特徴は、現地住民を巻き込んでの島嶼戦であったこと、その結果、正規の軍人の戦死者よりも一般住民の死者がはるかに多かったところにある」言われています。

 さらに、池宮城は、沖縄戦の特徴として次の5つを挙げています。

①3か月以上の長期におよぶ激しい地上戦 

②現地自給の総動員作戦 ③軍民混在の戦場 

④軍人を上回る一般住民の犠牲 

⑤米軍占領の長期化。

 これらのことから言えることは、生活の場が戦場であり、砲弾や銃弾の中で逃げまどいながらの厳しい3カ月の現実であったということ、戦争というのは通常は兵隊がやるものですが沖縄戦では一般の人が巻き込まれた(強制動員された―編集者)ということです。

 *編集者補足―住民の強制動員の類型:義勇隊、直接戦闘、陣地構築、弾薬・食糧・患者の搬送、食糧供出、炊事・救護などの雑役、四散部隊への協力、豪の提供、軍の道案内、遊撃戦協力、勤労奉仕作業、強制「集団自決」などがある。

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Ⅱ 調査の概要・具体的事例

 私の仕事のスタートは保健師です。「沖縄戦と精神保健」という調査を以前にやったことがありました。その時、終戦から40年も経過しているにもかかわらず、沖縄戦体験者の実態は時間の経過とともにさまざまに影響し合っており、戦争はまだ終わっていないということを実感しました。また、戦争の影響が地域によっても違いがあること、そして、体験者が高齢化する中で聞き取り調査が年々厳しくなってくることを感じていました。

 当時PTSDという言葉がまだあまり使われていなかった頃ですが、激しい戦渦に巻き込まれた女子学生にPTSDの疑いのある方がいましたし、ほかにもPTSDだったのではという人が何人もいました。それで、何とかして、沖縄戦を数量的に把握したいと考えてきました。沖縄戦のことを把握するには時間との戦いであると考えていました。

 沖縄戦は地上戦の実験場だったのではないかと私は考えています。沖縄にはPTSDとかてんかん、統合失調症などの精神障がい者が他府県の2倍いると言われています。それはまさに沖縄戦の影響によるものだと思います。

ア 聞き取り調査から

 沖縄には、市町村ごとにミニデイという高齢者のための憩いの場があります。そこでは、室内ゲームやカラオケ、ゲートボールなどのレクレーション、リハビリ体操、食事、手芸、交流会、社会見学などが行われています。このミニデイ参加者の方々に、戦争体験を話してもらいました。

 最初の聞き取り調査地は、米軍が最初に上陸した本島中部の読谷村です。体験を話してくださった方は、目を潤ませながら面接に応えて下さいました。

・戦時中、妹をおぶって戦場を彷徨していたI子さんは、妹が流れ弾に当たり命を失いました。I子さん自身も妹を貫通した弾が脇腹に当たり、その傷痕が今も残っています。I子さんは戦後67年が経過した今でも妹に済まないという気持ちを強く抱いています。若いころは婦人会活動にも熱心に参加したI子さんですが、子供たちが成人し親の手から離れる頃から体調が悪くなり、薬なしでは夜眠れない日々を過ごしています。本人は「この病気は、あの世まで持っていくことになると思います」と話しています。I子さんとはその後も近くに行ったときには顔を合わせたり、電話で話したりしています。

・激戦地となった本島南部の八重瀬町の具志頭村と糸満市の面接では、体験者のお話がこの世のことではないような話でした。死体がごろごろしているのを跨いで逃げ回ったり、目の前で身内が弾に当たって散ってしまったとか、即死したとかいう、まるで地獄のような話にさすがの私もその晩は眠れない夜を過ごしました。

・オスプレイが配備され「世界一危険な基地」と言われている普天間基地を有する宜野湾市では、オスプレイの音で、戦争がずっと続いているようだと訴える一人暮らしのGさんを面接しました。

80歳を超える女性は、普段の生活ではできるだけ戦争のことは忘れようとしているが、考えるつもりはないのに当時の惨状がいきなり頭に浮かんでくるといいます。米軍が迫ってきた当時、住民の多くは山の中やガマに潜み、食糧や水事情の悪い中で、見つからないように避難していました。それでも親兄弟、親戚など多くの身内を艦砲射撃や米軍機の砲弾で亡くし、或いは栄養失調で亡くしたことを涙ながらに語ってくれました。67年を経た現在でも、当時の悲惨な情景を鮮明に覚えており、とくに夜になるといやでも亡くなった人々や死屍累々とした情景を思い出すことがあり、睡眠薬がないと眠れないという。

 面接をしながら、何の罪もない人を何十年もこのように苦しませてきた戦争に怒りが込み上げてくると同時に、途中で幾度となく、面接を止めようかという自分の苦しさもありました。

 今回の調査で、戦争トラウマを直視することができました。特に戦争PTSDの代表的な症状であるフラッシュバックが、日常的に米軍基地から派生する事件や事故、軍用機の騒音によって、あたかもカサブタが剥がされるように蘇り、戦争体験のある高齢者が未だに苦しみ続けているという現実が明らかになりました。

イ 様々な症状

 身内の死亡によって、戦後すぐから発作などが起こった人たちがいます。
おじいちゃん(Aさん)はてんかんで強い発作が起こります。この方は兵隊から盗みの疑いで半殺しの目に遭って、意識もなくなったという体験の持ち主です。Bさんは頭に外傷を負いました。耳の後ろから目にかけて弾が貫通して、片目は見えなくて、てんかんの発作がひどく、認知も出てきています。Cさんは、胸にひどく抉り取られた傷があり、統合失調症で苦しんでいます。Dさんは、身内がみんな無くなって、外を徘徊するようになった人です。Eさんは、明らかにPTSDで病院で月一回薬をもらいに行っているが、途中で兵隊のことを思い出して一人では病院に行けないと訴えています。Eさんは、統合失調症でほとんど会話をしない人ですが、ご主人の話になると、目がキッと変わります。終戦からずっとご主人は帰ってきていないのに帰ってくると思いこんでいます。未だに沖縄戦で死んだということを信じられないでいるのです。Fさんは、奥さんと娘を失くした方ですが、いつも役所の前に座っていたり、徘徊を繰り返したりして保護されたりしています。

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ウ 家庭問題

 戦後、家庭問題が長い年月で続き、発病とか症状に影響しているというケースがあります。

 Gさんは、若い男の方でしたが、父は戦死しました。母がその後妊娠して、母方の実家で生まれたという方です。しかし、母親もこの子が幼少の時に亡くなってしまい、おばあちゃんに大事に育てられたということです。さらにそのおばちゃんも亡くなって、それからはずうっとひどいアルコール依存でした。最後には自殺をしてしまいました。

 Hさんはシベリア帰りで、戦後40代で夫を亡くした未亡人です。生活苦の中、子供が4人いましたが、行商で子どもと姑を一緒に養っていました。死亡した夫の役所手続きが自分ではできなくて、近所の男性にやってもらっていたが、その男性と関係ができ、新たに子供ができました。生活を維持するために、その子はおばあちゃん(姑)に預けて行商を続けていました。しかし、この母親は発病して入院してしまいました。この母親は武士の子孫で厳しく育てられていて、30何年間ずうっと親の言いつけを守ってきたのに、この件で自分を責めていました。私が「そうじゃないよ、戦争のせいですよ」と言っても、自分が悪いと自分を責めていました。新しく生まれた子を戦死した夫との子供とは区別して、夫の遺族年金はこの子には使わないと言っていました。

 調査で尋ねた時は、畑の中に小さな家を新しく建ててそこで子供は母親と一緒に住んでいました。親子の会話がすごいのです。お母さんは長期入院していたが、時々家に帰ってきた時、子どもが「ぼくはお母さんしかいない、お母さんが亡くなったらどうしよう」と言うのです。お母さんは、「自分は死なないよ、100歳でも120歳まででも生きるから」と言って子供を安心させようとしていました。この親子の話が身につまされて、聞いている私たちはいたたまれない気持ちになりました。

 アルコール依存、離婚、家の継承がうまくいかず、家庭崩壊、家庭の経済問題、遺族年金をめぐるいさかいなど、多くの事例がみられます。その背景には、身内の誰かの死亡が関係しています。戦後何年もたってから発病によって家庭問題が発生するというケースもよくあります。

エ PTSDで不快な感情

 不快な感情は悲しみとか憎しみなどの感情として現れます。

 Jさんは、娘をもつ母親ですが、夫は兵隊として南洋にいっていました。このお母さんは子供二人と姑と島尻の壕に避難していた人です。島尻は地下に鍾乳洞がたくさんあって、雨季だったので雨水が流れてきて、そこに死んだ人が流されてきたのを目撃したという体験の持ち主です。インタビューのとき、怖い怖いとおびえていました。雷や、花火を怖がって震えて泣いていました。それでインタビューをやめざるを得ませんでした。

 Kさんは、戦後結婚して所帯を持った男性の方です。その頃は夫婦ともバリバリ働いていましたが、その後一人暮らしをして、那覇の町を徘徊するようになりました。年を取ってから兄弟がなくなったことがつらいのだという。この人の長男は離婚し、次男は統合失調症で入院しました。

オ 調査の集約

 まず調査対象地域は、戦闘が行われた沖縄本島の北部、中部、南部の6市町村と離島2村(大宜味村・宜野座村・読谷村・宜野湾市・八重瀬町・糸満市・座間味村・伊江島)。対象者は、介護予防事業(ミニデイケア)に参加している沖縄戦体験者401名、年齢75歳以上の者。調査員には元保健師、心理士、医師、看護学生が参加。

 WHA-5(精神的健康状態票)とIES-R(心的外傷性ストレス症状を測定するための質問票)を使って質問し、回答から得られた内容を数値データ化し、沖縄戦がどのように影響を及ぼしているかを分析して行く方法でやってきました。その結果の概要は以下の通りです。

①戦時中、召集あるいは動員されましたか→26%がそうであった。

②戦時中の主な避難場所は→自然壕51%、山の中→46%

③戦時中の食糧事情は→大変悪い38%、悪い26%

④戦時中の水事情は→良い42%(?)

⑤収容所での生活体験は→ある42%、収容期間は1年前後という回答が13%

⑥戦時中から終戦後に病気をしましたか→した48%、マラリア40%、栄養失調12%

⑦戦時中、負傷しましたか→した10%、その原因は弾丸24人、負傷で心身に障害がある13人

⑧身近な配偶者などが危険な目に遭うのを目撃しましたか→した43%

⑨戦時中あるいは戦後1年以内に身内で亡くなった方がいますか→いる69%、兄弟姉妹34%

⑩身内の死亡原因は→弾丸24%、栄養失調16%、マラリア→9%

⑪沖縄戦によって財産の被害は→ある79%、家の焼失69%、家畜50%

⑫現在、沖縄戦のことをどの程度覚えていますか→非常に覚えている74%、多少→19%

⑬現在、沖縄戦のことをどの程度思い出しますか→常に思い出す26%、時々52%、思い出さないようにしている11%。

⑭どのような時に沖縄戦のことを思い出しますか→戦争に関するテレビの映像、新聞記事79%、慰霊の日や法事72%、基地や軍用機51%、雷や花火20%

⑮思い出すとどのような気持ちになりますか→大変つらい34%、つらい25%、市長村別で大変つらいは座間味村で53%、読谷村で41%、伊江村で41%と高い。

 「戦争の記憶」では、7割以上の人が常に思い出す、時々思い出す、が5割、きっかけはテレビ新聞が圧倒的、南部では慰霊の日などに思い出すという人もいます。

 沖縄の新聞で、2012年8月に「基地」というキーワードで調べると、30件ありました。辺野古、枯葉剤、普天間問題、オスプレイ、墜落などに関する記事でした。

 同年同月の全国紙では、3件しかありません。一ケタ違っています。広島の新聞を調べてみると、8月は基地関係のことはゼロで、1年間で見たとき、わずか3件だけでした。

 基地関係の報道量が沖縄と他府県では全然違うんですね。沖縄で昨年オスプレイのことで県民大会がありました。県民大会前の7月以降のことですけど、80代のおばあちゃんたちから「オスプレイ、オスプレイ」というカタカナ言葉がたくさん出てきました。「オスプレイは大丈夫かね」と自分たちの体験から発する不安の声が出てきました。

 基地関連のことから派生する事件・事故などで沖縄戦を思い出すという高齢者の方は多いのです。

 「戦争を思い出す頻度」は、基地問題に関するマスコミの報道と強い関連性があります。1日に7~8件の基地関連報道があるなかで、凄惨な沖縄戦で大きなトラウマを抱え、戦後それが癒える間もなく基地問題に翻弄され、心の底にトラウマが沈んだままになっているのではないでしょうか。

 沖縄戦体験者が強いストレスによる晩発性のPTSDを発症する危険性は十分にあります。「戦時中、誰かが危険な目に遭うのを目撃したか」では、弾が飛んできて目の前で身内が死亡したり、死人の上を跨いで必死で逃げたりしたこと、レイプの場面を目撃したことなどが、脳裏にしっかりと焼き付き未だに忘れられないと涙ながらに話す体験者もいました。

カ 心の健康調査(WHO-5)とトラウマテスト(IES-R)

 「心の健康調査」は平均、13点以下は悪いということを表しています。沖縄では21.5点もあるということはとてもやる気があり精神的健康度は良好であるということを表しています。他県の調査で、65歳の大都市の高齢者は15.6点なので沖縄がいかに高いかが分かります。

 「トラウマテスト」では、高い得点ほど症状がよくないということを表します。沖縄は非常によくありません。PTSDのハイリスク者とされる25点以上が39.2%(4割)もあります。このことはトラウマ率が非常に高いということになります。トラウマ率が高いということは、何と関連しているかというと、危険な目に遭うのを目撃した、身内の誰かが亡くなったという体験と関係があります。気持ちがとても高ぶり、雷、花火に反応したり、軍用機が飛んでいることに反応したりして、戦争が迫っていると感じている人がいます。

キ 原因不明の不眠やうつに苦しむ高齢者

 蟻塚心療内科医は「沖縄には原因不明の不眠やうつに苦しむ高齢者が大勢いる」として「沖縄ストレス症候群」に関して次のような8項目を挙げています。
「沖縄戦によるトラウマ後ストレス症候群」(蟻塚亮二精神科医のまとめより)

①晩発性PTSD…若いときには戦争のことを考えなかったが老年期に入り不眠に悩まされる。幼い時の戦時記憶の侵入と増大を呈する。

②命日反応型うつ病…毎年、慰霊の日やお盆になると不眠、うつ病状態になる。

③匂いの記憶のフラッシュバック…夜に「死体の匂い」の記憶がよみがえって眠れない。

④パニック発作…近親死を契機に晩年に発症。

⑤身体表現性障害…初老期に両足の痛みをきたした。死体を踏んだせいだと自分を責める。

⑥戦争記憶の世代間伝達…母親(第一世代)が子供の頃戦場を逃げ回り、やがてうつ病や自殺未遂を繰り返す。その娘(第二世代)はうつ病と貧困。さらにその娘(第三世代)は彼女の子どもの養育拒否…戦争トラウマが母子間の愛着行動の不十分さを通じて世代間に伝達するケース。

⑦破局体験後の人格変化及び精神病エピソード…子供の頃戦場で死体を目撃し逃げた。その後、「無力・引きこもり」の人生。晩年に幻覚や妄想などの精神病的症状を呈する。

⑧認知症の妄想、幻覚

その他、統合失調症、てんかん、アルコール依存症、DVなどが考えられる。

 世界精神医学会は、トラウマに関連した心身の障害として次のようなものを挙げています。

 心的外傷後精神障害(PTSD)、急性ストレス障害、うつ病、薬物乱用、不安障害、適応障害、身体化障害、体の病気を起こす精神的不調などです。
心理行動面の反応としては、悲嘆反応、引きこもり、攻撃、暴力、家族不和、家庭内暴力、不自然な怒り、就労能力の低下や喪失、不潔、過喫、大量飲酒などがあり、これらは沖縄戦トラウマと関連していると考えられます。

Ⅲ 調査結果のまとめ

1. 沖縄戦体験者のWHO-5の得点は先行研究に比べ高得点であり、精神的状態は良好であった。その理由として、沖縄戦体験者は高いレジリエンス(心の回復力、強さ)があり、加えて、“ユイ”という相互扶助の精神があり、地域の共同体との繋がりがあったからだと推察される。

2.IES-R調査でPTSDの方が4割もあった。これは凄惨な沖縄戦に加え、日常的に起きている「基地」から派生する問題がマスコミにより報道されていることが強く影響しているものと推察される。

3.PTSDのハイリスク者が4割もいたことから、沖縄戦体験者に対する心身の介護やケアを行う際は、沖縄戦によるトラウマやPTSDを意識した関わりが必要である。

 関わり方では、被害者に寄り添う、自分を案じていると思える人の存在を感じさせる。話を聞く際、さえぎらない、否定しないで聞く、尊重する。無理に答えを出そうとしたり、励ますことは避ける。付き添う、手伝う、長い目で見守るなどの配慮が大切である。

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最後に、沖縄のお年寄りが元気なのは?

 沖縄の高齢者は生存率が高い。なかなか強くて生きる力があります。沖縄は島嶼圏で、歴史的に琉球王国時代から東南アジアの人々といろいろ交流がありうまくやってきました。薩摩の支配があってもそれに耐えてきた歴史があり、そのことが元気につながっているとも言われています。沖縄の人にはレジリエンス(心の回復力、強さ)があるとも言われています。

 もう一つは、沖縄は横の繋がりが強い、お互いが相互扶助、ユイなどの共同体的な繋がりによって支えられているということ。これらによって元気が維持されています。戦争期や戦後の逆境にもめげず精神的に健康で環境にうまく適応してきたのではないかと考えられます。