第8回講演会 「集団的自衛権と沖縄」~第二の沖縄戦を招く!集団的自衛権と秘密保護法

第8回講演会  2014年10月3日

講師 参議院議員 糸数 慶子 さん

 国会活動、国連先住民族世界会議出席、さらには全国各地での講演会など、超多忙な糸数参議院議員。辺野古新基地建設問題を争点とする沖縄県知事選(11月16日)まで一カ月と少しという重要な時期に、合間をぬって、10月3日、当会の講演会に駆け付けて下さいました。まずもってお礼申し上げます。

 「ハイサイ グスーヨー チューウガナビラ みなさま今晩は、という意味のウチナーグチです。私たちは日本人であると同時に琉球人です。今、沖縄では琉球語を大切に使っていこうという機運が高まっています。一週間前に国連において琉装で琉球の先住民としてのスピーチをしてきました。沖縄県民の意志を無視して建設されようとしている辺野古新基地の問題で、国連の場において、世界の人たちの中に反対の輪が広がっていることを感じました。イッペーニヘ―デービル(ほんとにありがとうございます)」

 糸数さんは、ウチナーグチによる挨拶と国連活動の報告からお話を始められました。多岐にわたるお話でした。以下、要旨を報告します。

「集団的自衛権と沖縄」~第二の沖縄戦を招く!集団的自衛権と秘密保護法

■まず、国政報告から

 参議院無所属議員として3期目の活動をさせていただいています。私は、このところ沖縄だけでなく、ジュネーブやニューヨーク、それに全国を駆け巡っています。

 沖縄では私の議席は “平和の一議席”と言われています。共産党や社民党の皆さん、スタートの頃は民主党も、そして今では生活の党の皆さんなど、平和を願っている多くの政党の皆さんの結束でこの1議席を守っていただいています。大きいところでまとまって2004年に初当選することができました。

 私は参議院議員を6年間勤めたいと思っていたのですが途中下車しなければならないことが起こりました。2年半で参議院議員を止めて県知事選へ立候補するということになったのです。その時、今の仲井眞さんと闘い、残念ながら敗れました。その仲井眞さんが今度3期目に挑戦しようとされています。彼は一期目から基地問題を争点にしませんでした。2期目の伊波洋一さんとの闘いの時“辺野古は県外へ”といって問題点をそらし県民をだまして当選しました。けれども、昨年12月28日、安倍総理を前にして、「いい正月が迎えられる」とのたまって県民を裏切ったのです。

 今、問題になっているのは辺野古の問題だけではありません。今国会では、自民党が中心になり日本にカジノを誘致しようとする動きがあります。今国会の中で動いているアベノミクスの“第4の矢”はカジノだそうです。沖縄でも仲井眞知事が辺野古新基地を認めると同時にカジノも作らせてほしいと言っています。

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 昨日(10月2日)、国会で山下議員が安倍さんに質問しました。「平和への逆流になるのが名護市の米軍基地建設です。貴重なジュゴンやサンゴが生息する美ら海を埋め立てて造る基地。これは普天間基地の単なる移設ではありません。1800mのV字型の滑走路を2本建設し、オスプレイを配備し、F35戦闘機を運用する。普天間基地にはない200mの埠頭を建設し軍港を併設する。強襲揚陸艦を配備し、普天間にはなかった広大な弾薬エリアを建設するという計画。“これのどこが負担軽減なんですか。”基地負担を増大させ、紛争の平和解決という世界の流れに逆行している。海兵隊の機能を一変させる最新鋭の出撃基地建設だ」、と追及(質問)したのです。全くその通りです。

 それに対して安倍首相は、腹立たしいことに笑みをたたえながら、「普天間飛行場の移設は現在の施設を単純に辺野古に移設するものではなく、沖縄の負担軽減に十分に資するものと考えています。現在の普天間は、オスプレイの運用機能、空中給油機の運用機能、緊急時に外部から多数の飛行機を受け入れる機能という3つの機能を有しています。このうち辺野古への移設はオスプレイの運用機能だけであり、他の二つの機能は本土に移転されます」と答弁したのです。

 ほんとに安倍さんはウソつきです。かつて私たちがオスプレイの配備についていろんな形で質問しました。それに対して政府は「オスプレイの配備はありません」と言っていたわけです。しかし実際には配備されたのです。今度もアメリカ側が出している計画では山下議員の発言通りであるのに、「オスプレイの機能だけです。空中給油機は山口に移動したから負担は軽くなっています」と答弁しています。とんでもない。空中空油機が山口から何度沖縄に舞い戻っていることか。ほんとに県民をバカにしています。

 「普天間では、日常的に飛行経路が市街地の上空にありますが、辺野古では海上に飛行場を作りますので負担の軽減になります」「普天間の地域には一万数千世帯の居住者がいますが辺野古に移ったら被害を受ける所帯はゼロになります」と安倍首相は言い放っています。極め付きは「最も大切なことは住宅や学校のある市街地に囲まれた基地の固定化は絶対に避けなければなりません。これが大前提であり、政府と地元の皆様の共通の認識であります」とまで言っているのです。

 辺野古には人は住んでいないというのでしょうか。また、“地元との共通の認識”というのであれば、“名護市の陸にも海にも基地は作らせない”と訴えた市長がなぜ二度も当選するのでしょうか。地元の新聞社が、県民にアンケート調査をしたら、県民の8割が新基地建設に反対しているのです。それなのに辺野古に移るのは“地元との共通の認識”だと言ってのけているわけです。

 昨年末に石破さんに頭をなでられて政策をひっくり返した5人の議員がいました。女性の議員もいました。恥ずかしい限りですが、苦渋の選択だとか言っていました。沖縄の言葉で、ワジワジしてしまいます。怒りが込み上げてきます。票を取るために「普天間は県外ですよ」と言いながら、自分の任期の途中に自分の公約を反古にする仲井眞さんと自民党議員。県民だましの何ものでもありません。

■重要になる今度の県知事選

 私は今日こちらに来る前に自治労の大会に出席させていただいて挨拶をしてきました。そこで私は、次のようなことを話しました。

 「今までの選挙の闘いは、革新共闘会議という形でやってきました。今回、オール沖縄という形になったのは、昨年1月、オスプレイ配備反対と新基地反対という沖縄の心を一つにして県民の命と暮らしを守るため、県議会、41市町村長、各議会の決議に基づく「建白書」を携えて安倍首相のところへ行きました。その枠組みで闘っていかないと島ぐるみのたたかいは実現しません。超党派で思いを一つにする翁長さんを知事に押し上げて、今度こそ69年間、押し付けられてきた基地に対する沖縄の思いをはっきりさせましょう。次の世代の人たちのためにもこの選挙は負けられません。」

 今日この集会に参加して沖縄に心を重ねてくださっているみなさん。本土の各地域から辺野古に来てくださっていることを考えれば、ウチナンチュのアイデンティティ、そして、安倍政権に対するオール沖縄の闘いは、沖縄だけの話でなくオールジャパンでこれからのことを考えていく、そのような選挙だと思うんです。

 今建設されようとしている新基地は沖縄だけの問題ではすみません。この新基地は200年耐用の基地であり永久的にここから世界に向けて米軍機が飛び立っていくことになるのです。生物多様性という観点から見ても、ジュゴン、クマノミが生息する豊かな珊瑚の海、世界に誇れる美しい海が無くなるということです。先だってキャサリン博士が辺野古の大浦湾に潜って調査され、その後の記者会見で、「ほんとにきれいな海です。このすばらしいジュゴンの住む海は沖縄だけの財産ではなく、世界でここだけに残っているすばらしい海です」とおっしゃっています。オリバーストーンさんをはじめアメリカでも1万人位の人が稲嶺市長の声に応えて、美ら海を守るために声を上げて下さっています。

 前回の参議院選挙のとき、安倍さんは沖縄に3日間いました。相手側の応援のためにです。しかし、沖縄県民は正しい選択をしました。私は3度国会に送っていただいたのです(大拍手)。糸数慶子は沖縄の社会大衆党の委員長ですが、社大党は政党要件を満たしていないため断念ながら政党助成金はもらえない。ですから市議会議員選挙レベルの闘いしかできませんでした。それでも沖縄県民の思いで国政選挙に勝たせていただいています。

■集団的自衛権とガイドライン

 昨日、民主党議員の集団的自衛権に関する質問に対して安倍さんは次のように答弁しました。

 「これまでは閣議決定をせず国会の議論の積み上げで形成されてきました。今回はあらゆる事態に対して切れ目のない対応を可能とする法整備を行い、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも国民の生命財産を守ることにおいて十分ではないことから、政府は意思決定の方法をもっとも重い決め方である閣議決定を行い法整備の作業に入っていくことにしたものであります」

 積極的平和とは程遠い安倍首相の答弁です。安倍さんは世界中を駆け巡っているけれども、何をこんなに急いでいるのかわかりません。世界にばらまいているお金はいったい何に使われるのでしょうか。自国民をたいへんな状況に陥れていて、平和外交と称し、海外を回っている。とんでもないと思います。

 今日の朝日新聞では、自衛隊がラプラトリー(南沙諸島)付近で米比軍事演習に初めてオブザーバー参加したということが載っています。これは米軍と共同の軍事展開に自衛隊が実践的に立ち会っていくということであります。

 さらに、日経新聞では、日米防衛協力指針(日米ガイドライン)の見直しで、中間報告の原案を紹介しています。集団的自衛権で日本が米軍に協力していく具体的な協力項目を最終報告に盛り込んでいくというもので、有事の際、中国の海洋進出の動きなどを踏まえ、日米は年末をめどに合意を目指しているというものです。原案では、集団的自衛権は、他国への武力行使を自らへの攻撃とみなして反撃する権利を指す。日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合の協力について詳細を盛り込むとされている。攻撃を受けていなくても日本の平和と安全を守るために武力行使が必要な場合があるという認識を示している。つまり平時から有事まで切れ目なく対応できるようにしていくという。協力項目として情報収集、警戒監視、偵察、施設区域の使用保護、輸送支援、捜索救助、経済制裁の実効性を確保する活動、非戦闘員への安全な場所への対応などが挙げられています。また、宇宙やサイバー空間などの情報分野の協力も項目に盛り込み、これらの新領域で軍事活動を強める中国への牽制を強化していくということです。

 今、現実に起こっていることは、沖縄では宮古島、石垣島、与那国島に自衛隊基地を作って、北朝鮮や、中国の「脅威」にどう立ち向かっていくかということが言われている。沖縄の北から南まで軍事要塞化していく動きがあります。米軍の基地をいずれは自衛隊基地にしていくという目論見もあると言われています。

 私たちは、普天間の基地閉鎖・撤去と言ってきましたが、仲井眞知事は5年以内の閉鎖を日米両政府に約束させたかのように言っています。

 しかし実際にはそこに自衛隊が入ってくるのではないかと言われています。本当に閉鎖が実現するのか、撤去が実現するのか、今たいへんな緊張状態にあります。隠されていますが今の政府の動きは自衛隊基地化の方向に動いていてたいへん危険な状態です。集団的自衛権にしても、秘密保護法にしても、私たちがピリピリしていますのは“全島要塞化”ということです。69年前に切り捨てられた沖縄の島に、また全県的に日本の軍隊がやってきて、戦争が始まれば真っ先に標的にされる状況に沖縄は置かれているのです。そういうことを私たち沖縄県民はピリピリと感じているわけです。90歳のお年寄りの方たちが辺野古の座り込みを続けていることの背景にはそういうことを感じているからなのです。

■米兵の体験

〔復帰前〕

 小学生のとき、学校の校庭で遊んでいると先生が「中に入れ入れ」というのです。私たちの喜納小学校の横にある国道58号(その頃は軍用道路1号線と呼ばれた)で海兵隊の行軍が展開されるからです。鉄兜にススキを巻いた兵隊たちが顔中ペンキを塗って背中にリュックを背負ってものすごい音(ザックザックという音)を立てて歩いていくのです。その異様な様にたいへんな恐怖を感じました。

 中学生のとき、家から読谷中学まで歩いて40分かかります。公民館から「今日は集団登校をしてください、もしくはバスを使いなさい。決して一人では登校しないようにしてください。」という放送があります。近くに読谷補助飛行場がありました。今は、その中にすばらしい村役場があります。元々そこは日本軍が強制接収して北飛行場を作った所ですが、戦争が終わったら、そこを米軍の海兵隊がパラシュート降下訓練の演習場に使うようになったのです。その演習場に海兵隊が野営テントを張り、何百人もの米兵が常駐することになりました。私たちはそのようなところを横切って学校へ行っていたんです。集団でいかないとレイプされる恐れがあったのでさっきのような放送があるのです。実際、私の同級生のお母さんがレイプされるということが起きました。

 高校生のとき、今でも怒りと涙がこみ上げてきますが、海兵隊の降下訓練の際、開かないパラシュートがよくありました。お父さんお母さんたちは、訓練のときは外に出ては危ないよ、と言っていました。ある日、私の友人のたか子ちゃんがその危ないパラシュートの訓練に巻きこまれて亡くなったのです。圧死でした。

 もう一つの事例。ある米兵が赤信号で車を走らせて、横断している高校生をひき殺す事件がありました。米兵は夕日がまぶしくて信号が見えなかったのでそのまま車を走らせたという。その兵士は軍法会議で無罪放免になり国に帰りました。こんなことが普通にありました。

 バスガイドになってからのことです。私がガイドをしてお客様を案内する日、午前4時過ぎでした。B52が墜落したのです。2階の屋根から見ると、黒煙がもうもうと上がっていて、祖母は「戦争がはじまる」と言って荷物をまとめたりして焦っていました。

 ベトナムの国立歌舞団の方々を私が案内した時の体験です。彼、彼女たちは嘉手納飛行場の前でバスから降りて、シュプレヒコールを始めたのです。私は泣きました。沖縄の人たちは嘉手納からベトナムに飛行機を飛ばすための仕事をさせられていました。ベトナム戦争に加担させられていたのです。ベトナムの人たちは、あなたたちに罪はないと言っていましたが、本当に悔しかったです。

〔復帰後〕

 湾岸戦争のとき、大阪の高校生が修学旅行にやってきていました。一緒にバスに乗って金武町あたりを走っていました。ここでも小学校のころ見た光景がまざまざと繰りひろげられているのです。米兵がやっぱりリュックを背負って行軍をやっていたのです。修学旅行生たちは私の話など全く聞きません。目の前の光景に目を奪われているのです。

 日本の国は平和憲法を持ちながら、戦後、ずっと沖縄に米軍基地を置いています。アメリカが戦争を起こすたびに沖縄ではたいへんなことが起こるのです。9.11のときもたいへんでした。「沖縄は安全だから修学旅行生も観光客も来てください」とメッセージを送ったのですが、キャンセルばかりでした。沖縄が標的にされる可能性があるからです。

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〔現在も繰り返される、事件・事故〕

 最近でも軍人軍属による殺人、強姦、暴行、交通事故、航空機の墜落、環境汚染が頻繁に起こっています。これらは本土の新聞には載りませんが、沖縄の新聞はしっかりと紹介しています。

 私は講演で全国各地に行きますが、軍人軍属の話を聞いたことがないし、まったくわかりませんという声をよく聴きます。それは地位協定が立ちはだかっていて、多くのことが迷宮入りになり、表に出ないようになっているからです。とりわけレイプ事件は本人が申告しなければ事件になりません。

 3年前、ある女性が、パーティの場で親しくなった米軍人(その時は友達もたくさんいたし、紳士的なふるまいをしていた)から基地の中を見せてあげたいと誘われて付いて行きました。そして基地に一歩入ったところでレイプされてしまったのです。彼女は沖縄署に被害届を出しました。沖縄署は米兵を拘束し取り調べをやり、そのことが大きく新聞に取り上げられ、裁判になりかけていました。そんな時に、米軍関係者が彼女の職場に訪ねてきて、このことは内緒にしてくれというのです。まるでセカンドレイプですね。彼女は家族や職場や周辺の人たちから事情を聴かれたり、MPがやってきたりして疲れ果てて、結果的にはこの事件の告訴を取り下げてしまいました。

 去年、山内徳信先生を団長として25名で、アメリカに行きました。それはアメリカの財政が苦しくて海外にある米軍基地をアメリカに引き戻す動きがあり、上院議員、下院議員たちにこういう動きがある時に、沖縄の基地を引き上げて下さいということを訴えるためでした。

 そんな時に、20歳の成人式で名古屋から沖縄に帰ったY君という人がいて、明日成人式というとき、友人たちに夕食に呼ばれて、自宅から車で約束の場所に出かける途中、対向車線からはみ出してきた米軍の車と衝突したのです。Y君は病院に運ばれましたが病院で亡くなりました。

 この件で米軍はどうしたでしょうか。この米軍人は、仕事が終わって基地から自宅への帰る途中に起こった事故だとしたのです。つまり公務中の事故ということにしたのです。軍人は軍法会議に掛けられましたが無罪放免になりました。Y君の母は納得がいかないので、ご自身で事故の発生状況や米軍兵士の行動など調査され、公務中ではなかったはずであるという確信に至りました。この過程で彼女は初めて地位協定の存在を知ることになりました。日本の警察の取り調べもないまま、Y君が飲酒運転をして事故を起こしたかのようにされてしまうことに耐えられず、お母さんは自身で現場検証をしたんですね。お母さんの行動で大きな力が動きました。議員や弁護士たちがサポートしました。あまりにも理不尽なことが多くて、支援者たちがこのことを那覇検察審査会に申し出ましたら、裁判をするように差し戻しになったんですね。その結果、その軍人は5年間の懲役を食らうことになりました。この事件ではY君の母親の行動が多くの人を動かし、たくさんの議員を動かすこととなり、また多くの署名も集まり、裁判をさせることになったのです。

 このような理不尽なことが今でもあるのです。本土の新聞にはこんなことは載らない。

 沖縄の人は米軍基地に人権を脅かされています。“沖縄の人は人間じゃないのですか、小さな島に140万人の人が住んでいるのですよ”とどんなに訴えても、日本政府は地位協定の壁に阻まれているので…、というばかりです。

 環境問題もそうです。ある返還された用地跡にできたサッカー場からドラム缶が発見されました。

 その中からダイオキシンか枯葉剤だろうと思われるものが出てきたのです。これも地位協定の不平等条約の制約によるものです。アメリカ軍は基地を返すときもそのままの状態で返します。結果、日本の税金で処理することになります。

 このようなことの真只中に県民がいるわけです。沖縄では毎日毎日こんなことが起きているのです。

 沖縄は「本土決戦」の時間稼ぎのために戦場となり、凄惨を極め、戦後は27年間米軍に占領されてきました。その中であまりにも理不尽に県民の命が粗末にされるので、「本土復帰」すればこのことはきっと解決されるだろうと思ってきました。しかし、69年経った今でも状況はまったく変わりません。変わるどころかもっとたいへんな状態にあります。

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■“普天間は閉鎖する”が原点だったはず

 95年の少女暴行事件は、ノートを買うためにおうちから文具店に向かった矢先に3人の米兵によって人権蹂躙をされた事件です。両親はこの件が表に出ることを嫌がりましたが、5年生の女の子がこんなことは二度と起こらないようにと勇気を出して訴えたのです。それによって大きく県民を動かすことになったのです。

 私たちはこの事件の1週間前まで北京女性会議に参加しておりました。世界中から集まった多くの女性たちがヒラリーさんの講演を聴いてたいへん感動していました。彼女は、女性の人権が大切にされることこそが女性の活躍を実現することであると世界の女性たちに向かって講演したのです。

 沖縄に帰って私たちが第一にやらねばならなかったことは、米兵によって女性の人権が蹂躙されたこの事件への対応でした。クリントン大統領はいち早く謝罪をしました。日本の外務大臣は、“女性がレイプされたことで外交を揺るがすような、矮小化されるようなことがあってはならない”として、この事件を大きく取り上げるな、という調子でした。

 この95年少女暴行事件で県民大会が宜野湾市で開催されました。当時の大田知事は一人の女性の人権を守ることができなくて行政のトップとしてほんとに申し訳ないと謝罪をしました。このことがきっかけになって、“普天間基地を閉鎖せよ”ということになっていったのです。これが普天間問題の原点なのです。そのことをすっかり忘れ、または忘れたふりをしているのが安倍首相です。“普天間は閉鎖する”という原点が紆余曲折されて今、“移設問題”として目の前にあるのです。

 憲法14条は、門地やどんな所に生まれていても法の下で平等とされていますが、沖縄は差別され続けています。私がニューヨークやジュネーブまで出かけて行くのは、基地問題のことがなかなか解決されないからです。国連の場で、この基地問題を切り口として、人権のこととして、先住民としての琉球人を認めてください、と言っているのです。法の下の平等ということであれば、県民の8割の人が辺野古に基地をつくることに反対だと言っているのに、なぜ日本政府はそのことに目を向けないのですか。そこには構造的な差別があるのです。琉球の先住民族としての権利、沖縄の人権を国連において確立したい、沖縄の自己決定権を確立したい、という思いを世界の人に訴えているのです。

■根っこは すべて戦争につながる

 6歳の由美子ちゃん事件もありました。由美子ちゃんの死体は石川から嘉手納基地の近くの海岸に遺棄されていました。このような事件は枚挙にいとまがありません。復帰後、レイプ事件は126件ありますが、これらは申告罪ですから、しっかりと訴えて事件として数えられたものだけであって、訴えられず泣き寝入りした事件の数がどれだけあるでしょうか。

 ベトナム戦争のころ、人一人が生きる勇気を亡くし、自分自身の人権も人生も闇に葬って、現在精神病院で暮らしている人もいます。95年の事件の時いろいろな人から電話がありました。「私はベトナム戦争のころ、米兵にレイプされましたが生きています」という人が名乗り出ることがありました。そんなことが次から次に表れてくるのです。

 基地は戦争のための備えであり、戦争というのは人の思いも人格も破壊してしまう。

 「慰安婦」問題を考えても、今の米軍の基地の問題を考えても、根っこは“戦争”につながっているのです。

 私は娘が3人、孫が5人います。子どもたちの時代にはこんな話を私が語ることはないだろうと思っていましたが、相変わらず語り継がなければならないことが続いています。

 平和ガイドをしながら語ってきたことは、朝鮮から強制連行されてきた女性たちのことでした。石川悦子さんの詩を紹介します。

 「かつ子さん、あなたはお父さんお母さんが付けてくれた名前まで奪われて、明美と呼ばれ、幸子と呼ばれ、日本軍の性の対象になり、戦場に連れて行かれた。そして、日本軍の殺人男根が毎日毎日あなたの体を破壊していく。その中に、耐えられず亡くなった人もいれば、戦争は終わったけれども国元に帰れず、この地のどこかにさまよっている人もいる。戦は終わったけれども、あなたの魂は故国に帰っていますか?かつ子さん。親が名付けたあなたの名前は忘れられ、日本の国の名前で呼ばれた。この荒野のどこかにあなたの思いや魂は今もさまよっているのでしょうか。」

 95年の少女暴行事件も日本の軍隊がアジアの多くの女性たちにやってきたことも根っこは一緒です。

 アメリカからやってきた3人の米兵の家族が言うには、一人は「私の息子は教会の○○係で信仰の深い優しい子です。決してそんなことをするはずがありません」と証言していました。もう一人は、「私の夫は子ども思いの本当にやさしい夫です」と証言しました。三人目の人は、「私の兄は、弟思いのすばらしいお兄さんです」と証言しました。

 きっとそうなのでしょう。しかし、彼らが沖縄に来て毎日毎日やっている厳しい訓練は、彼らの心、気持ち、動きを変えてしまうのです。

 ベトナムから帰ってきた米兵がおカネをばらまきながら沖縄の女性をレイプしてまわったということがありました。普通の精神状態ではいられなかったのです。嘉手納基地の中にそういう帰還兵士の荒廃した精神をケアするチームもできました。帰ってきた帰還兵の部屋の中には日本の薬局で買えるような薬のビンが何百本もゴロゴロしていたということです。麻薬と同じ効果のある薬です。帰還兵たちは自分がやってきたことを思い出すといたたまれないのです。平常心ではいられないからこんなに薬を飲んでいたのです。

 この3人の米兵がやったことも日本の軍隊がアジアでやったことも同じだと思います。

 私たちは日本国憲法の平和主義、国民主権、基本的人権という3つの理念のもとに復帰したはずなのですが、復帰して41年たっても沖縄の状況は変わっていないのです。

■秘密保護法と沖縄

 読谷村には二つの鍾乳洞があります。一つはチビチリガマ、もう一つはシムクガマ。

 沖縄戦のとき、鍾乳洞に入っていた人たちが得た情報の違いで全く別の出来事が起こりました。

 チビチリガマには、満州事変に出征したことのある元軍人、戦争に出ていた元看護婦さん、その家族の方々を含む住民180名ほどが入っていました。在郷軍人のいるチビチリガマの中では、米軍が上陸したら、男は八つ裂きにされ戦車の下敷きにされる、女は強姦され、もてあそばれて殺される、という情報が壕の中を取り巻いていました。壕の中で、植木ハルさんという女性は、母親に向かって、「米軍のなぶりものになって死にたくはない。お母さん、あなたの手で私を殺してください」と言って、ご自身の首筋に刃物を宛ててそれをお母さんに持たせ、亡くなったのです。そのことが契機になって、この壕の中では年ころの者が年老いた親を、母親が幼子を、次から次へ殺していくという状況が起こったのです。壕の中にいた元軍人の話をうのみにしたためにそのようなことが起こったのです。80名ぐらいは幼子たちでした。この間違った情報を信じ切って、“天皇の赤子たるもの、捕虜になったらたいへんだ”ということで、持ってきた布団を燃やして窒息する者、その他いろんな形で死んでいったのです。そんな中でも、父親が出征中の人がいて、その子どもが“父親が家族の元に帰ってきたらどうするんですか”、と母親を説得して壕から外に出て米軍の捕虜になったという人もいました。

 一方、チビチリガマからたった2キロしか離れていないシムクガマには、かつてハワイに移民した経験があり、アメリカのことや米軍のことを知っている人がいました。アメリカに関する情報を持っていた人の、「死んでしまったら何のためにこの壕に避難したかわからない、ぬちどぅ宝という沖縄の言葉にあるように命が大事だから米軍に掛け合って捕虜になろう」という説得で、1000名ほどの人たち全員が助かったのです。

 これなんですね。正しい情報をキャッチして世の中の状態をちゃんと分析しているのといないのとの違いによって生死、明暗が分かれたのです。

 政府は秘密保護法をすすめています。秘密保護法は公務員に対して喋ってはいけないことを制限し、結果、情報が閉ざされます。大本営の情報ではありませんが、安倍首相は国会答弁で、普天間に関するとんでもない情報を流し、辺野古に基地をつくらせようとしています。嘘を言いまくっています。正しい情報を正しく分析し咀嚼してどの方向を選んでいくのかということを私たちは真剣に考えねばなりません。

■戦火の中、そして戦後 家族のこと

 私は戦後、読谷村に生まれて育ちました。私の父は防衛隊として南部の方に駆り出され、叔父は軍人として陸軍の“風部隊”に召集され摩文仁で戦死しております。私たちの家族は、母(母のおなかの中に赤ちゃんが宿っていた)、叔母、祖母、姉二人、兄で読谷村から名護市に避難していました。食べるものがないので持ってきた着物とか家財道具などを売り払って物と変えて何とか暮らしていました。沖縄戦も終わろうとしていた6月に、母は民家の軒先を借りて赤ちゃんを出産したようです。食べる物もない中で生まれてきた赤ちゃんは残念ながら栄養失調で亡くなったそうです。3歳になる兄がいましたが、兄は将来、我が家を背負って立つ長男ということで大事に育てられていたようです。戦争の中にあっても、戦争のことが分からない兄は、はしゃいだりします。この兄のおかげで山の中を逃げ回っている時でも家族は明るく居られたそうです。しかし、この兄も先の赤ちゃんが亡くなった1週間後に飢えとマラリアで亡くなったそうです。母は、長男の死を認めることができなくて、赤ちゃんのために準備していたおくるみと帯で長男をおぶって山の中に入っていったそうです。それを見た姉たちや叔母や祖母も、「亡くなっている子のためにならないからこの子は赤ちゃんの横に埋めましょう」と言ったそうですが、母はどんなに周りが言っても聞かなかったそうです。母は、兄の死体に対してまるで生きている子に対するように話しかけたりして、その様が周りの者には狂ったように見えたそうです。山に入った母親を何とか引きずりおろして、やっとの思いでもう一つの墓をつくって長男を埋めたということです。それでも母は土を掘り起こして兄を墓から引きずり出して抱いていたそうです。3日たち4日たつと、兄の顔も形も変わっていくので、とうとう祖母が母親の手足を縛ってなんとか死を認めさせたということです。

 私は、平和ガイドとして沖縄戦の話をたくさんの方々にしてきたのですが、自分の母親の戦場体験についてはまったく知らなかったのです。

 母が亡くなったのは海洋博の年。明日、海洋博の最終日だから見に行こうね、と母が言ったその日に亡くなったのです。61歳でした。母が亡くなってから1周忌の時、母の戦争中のことをはじめて聞きました。一晩中泣きました。亡くなった兄が戦争の火中でも我が家の生きる希望になっていたことをその時に知りました。“火垂るの墓”と同じです。食べるものもなく干からびてどうすることもできない状態の兄の命をよみがえらせたいと母が強く思っていたことを、私は自分が母親になってから初めて知ったのです。私が子どもをまだ産んでいなくて、また、命に対する重さを自分自身の問題として引き寄せて考えることができなければ、このような母親の苦しみや悲しみを追体験することはできなかったでしょう。

 母は戦争中の苦しさや兄弟の死の辛さを自分の胸の中にしまい込んだまま、戦後を生き、死んでいったのです。

 このようなことは今の沖縄の人たちの中によくある話です。沖縄戦体験者の中で今、ポツリポツリ語り始めている人たちがいます。2007年の教科書問題の時、沖縄戦を体験した自分たちが話さないで誰が話すのか、という気持ちになった人がいます。戦争中の体験を次の世代に伝えていかなければという思いや平和を願う気持ちと新たな基地は造らせないという気持ちが繋がっているのです。

 私は、我が家だけの戦場体験ではなく、このようなことが沖縄のあちこちであったんだということを知って、世界中の母親が悲しむことのない世界を作っていきたいと強く思いました。

 “軍隊はいらない”というのが私の信条です。私たちが望むのは、平和憲法の下で、平和外交で、世界中の人たちと仲良くなっていくこと、そのことこそが平和貢献だと思います。

 アメリカにだけ目を向けてアメリカが起こしている戦争に加担していく日本であってはならないと思います。

 200年耐用の基地を私たちの税金で作らせるなんてとんでもありません。主権在民という言葉が泣いてしまいます。

 県民が本当に望んでいるのは少々貧しくてもいい、子ども達を安心して育てられる、そういう日本です。あの沖縄戦から得た大きな教訓は、基地・軍隊はいらないということです。平和憲法を有する日本の国が、憲法を拡大解釈して集団的自衛権、秘密保護法、武器輸出3原則など、憲法をなし崩しにしてしまう安倍政権に対して沖縄からノーという声を上げていきたい。

 それが今度の知事選なのです。

(10月3日)